いろいろな方に初恋は何歳でしたか?という質問を投げかけてみると、保育園や幼稚園の頃と答える人が以外と多いものだ。恋のお相手は同じ園児の異性だったり、あるいは担当の保育士や幼稚園の先生というケースもある。これは私についても例外ではなく、幼稚園で同じ組であったミヨちゃんという女の子に恋心を卒園するまでずっと抱いていたのである。おまけに私は幼稚園児にして嫉妬心という感情まで芽生えていた。違う組の一人の男児がミヨちゃんとやけに仲がよく、これまた誰にも教えられたわけでもないのにやきもちを焼いていたわけである。
私は時々ふと考える事がある。誰かに教えられたわけでもないのに、なぜにしてこんな幼い時から異性に恋をしているのかと。
私はいくつかの仮説を立ててこの理由を探ってみると共に、そのような恋愛感情が芽生えた幼児とどう向きあうべきかを考えてみた。
[テレビの影響]
私が物心ついた頃の時代は一般家庭にテレビが普及しており、現在と比較すれば娯楽が限られていた当時はテレビというものは無くてはならない媒体であった。
私の幼児期であった昭和50年代のテレビは歌番組の全盛であり、同時にその歌番組に出演するアイドルの全盛期でもあった。当事人気絶頂であった女性のアイドルとして度々テレビで目にしたのはピンクレディーやキャンディーズなどが記憶に残っている。
幼少の頃なのでもちろん意識はしていないものの、周囲やテレビの中の大人たちの会話から、美人できれいな女の人というのはピンクレディーやキャンディーズのみたいな人なんだということを無意識に植え付けられたのではないかと思ったりもする。
私がミヨちゃんを好きになった理由も可愛かったから。幼稚園児なりに同い年の女子の可愛さというのを認識していたのだなと我ながら驚きを持って当時を思いだす。
さて、テレビがまだ無かった時代では保育園や幼稚園の同い年の異性の容姿に惚れるいうことはあるのだろうかと、その時代を生きた方々に是非聞いてみたいものだ。
[保育士さんや幼稚園の先生を好きになる]
保育園の園児や幼稚園児が担当の保育士さんや幼稚園の先生を好きになってしまうというのもよく聞く話である。
大人の女性に牽かれるというのはおそらくはその保育士や先生の母性に牽かれているという可能性はおおいに考えられるのではないだろうか。
大抵の児童には母親が存在している筈なのになぜと疑問を持つ人がいるかもしれない。だが母親の我が子に対する愛情表現は千差万別。残念ながら子に対して愛情を持って接してやれない母親であったり、あるいは愛情を持っていてもそれをうまく表現できない母親だっているかもしれない。
そんな事で子どもなりに求めている愛情をうまく汲み取れる保育士さんや先生に出合えたならば、好きになるという感情が芽生えてしまうのも充分に頷ける話ではなかろうかと思う次第である。
だが大抵は一過性のものであり、母親の元に戻るもの。心配する必要はないだろう。
[幼児の恋愛感情との向き合いかた]
まだこんなに幼いうちから恋なんかしてうちの子は将来大丈夫だろうかと心配する親御さんもいるかもしれない。だがそこはそっと見守ってあげるくらいの余裕を持ってあげたい。
時間が経てば自然と恋が冷めたり、違う相手を好きになったりと子どもの心は移り変わっていくもの。自然に沸き上がる感情にはフタを被せずにあるがままに任せたほうが感情豊かな性格に成長できるのではないかと自分の経験を踏まえてもそう思うのである。
現代っ子は幼少期にも関わらずに僕の彼女、わたしの彼氏と公然と言ったりするという話も聞いた事があるが、根本的なところは私の幼少期の時代と変わってはいないとの確信がある。どんなにおませなお子さんであれ、温かく見守りたいところである。
因みに幼稚園児の私がずっと好きだったミヨちゃんとの結末はどうだったかというと、卒園後は小学校も別々ということで結局それっきりであった。そしてミヨちゃんと仲が良かった違う組の男児は実は双子の兄妹の兄だったという事が卒園時に判明して、ああ良かったなあとお別れであるのにも関わらず、ホッと胸を撫で下ろしたというちょっぴり甘酸っぱい卒園式の思い出であった。
そして小学校に行ったら行ったで別の子に恋をする事になる。幼少期の恋などはそんなもので、自然の流れに委せるのが良い。
幼少期の恋心について考えてみた。結論的にはどんな時代背景や家庭環境に起因した恋であっても沸き上がった感情にはフタをしないで意志の赴くままにその気持ち見守っていきましょうということを伝えたく、それができればきっと感情豊かな人生にも繋がっていくだろうとあらためて考えさせられるところである。
s_hirama1-6著