保育所の在り方の話し

育児ママの同僚として

保育園にお子さまを預けながら会社で働く育児ママには頭が下がる思いだ。子育てと家事と仕事の3足のわらじで生活を切り盛りしているその姿はとても真似できるものではない。

私はそんな育児ママの立場の方と同僚としていっしょに働いていた経験があるのだが、その時に感じたさまざまな思いを通して、職場のケアのあり方を考えてみたい。

[まずは育児ママへの理解が前提]
私の同僚であった育児ママはお子さまを保育園に預けてから出勤する。両親とは別居している核家族世帯。そして現在の経済状況で専業主婦として家事育児に専念する程に余裕のある家庭はそう多くはない。彼女も例外ではなくその様な生活スタイルで仕事と家事育児を両立させている。

ただし、保育園にお子さまを預けてきたとはいえ、決して安泰ではない。

保育園からは預かった子どもの具合が悪い、あるいは熱が上がったから迎えに来て欲しいという連絡が仕事中に電話がかかってくる事は一度や二度だけではない。そんな時は都度早退する事になる。

また、朝から体調が悪く、保育園も会社も休まなければならないという事もままある。

度々の欠勤とはなるが、やむを得ない事であると職場の上司は理解を示していた。

同僚である私としても子どもの事情であるならやむを得ない。同僚である私の立場としては彼女の抜けた仕事を一生懸命カバーするしかない。二人分の仕事を背負う事は当然にして負担は増す事になるのだが、それ自体には特段不満はなかった。むしろ自分が支えているのだという使命感が湧き、やりがいすら感じていた。

だが問題はその後であった。

[フォローする同僚への理解]

前述では働く育児ママへの理解について言及したわけであるが、昨今の風潮からすれば大半の職場ではその様な状況を受け入れるのは当然ものとして対応するであろう。この様な立場の方を冷遇する職場が仮にあったとすればその企業の倫理観が問われるところだ。

ここまでは当たり前として、違う角度からスポットを当ててみよう。

仕事の中で欠員が出ればそれを誰かが補わなければならない。要はフォローする側の同僚に対してその上司は適切なケアを行っているかどうかは見落とされがちではあるが以外と重要ではなかろうか。

ここで私の事例を挙げてみよう。

先述した育児ママのフォローを度々行っていた私。それに加え、追い討ちをかける様に今度は新型コロナウイルスという未曾有の感染症が私たちの身に振りかかってきた。流行初期の段階ではご存知の様に、本人が感染しなくとも、濃厚接触者であれば一定期間の出勤が制限される。

更には保育園などの施設でクラスターが発生しようものなら休園という事になり、そうなってしまえば育児ママはまとまった休暇を取得してお子さまのお世話に専念せざるおえない状況となる。

そんな期間でも私は懸命にフォローに明け暮れ、なんとかそんな期間も乗り切ったのであるが、その事に対して上司はどのようなケアをしてくれたのかという事の不満が徐々に沸き上がってきたのである。

それから数ヶ月後、何事もなかったかのように育児ママの彼女が昇格する事が通達された。私は中途入社して数年の身だが、彼女は10年以上この会社に在籍している。
勤続年数は彼女のほうが断然長いので、それを基準としていると云われればそれまでだが、何か釈然としない感情が沸き上がってくる。

この件は仕方なしと100歩譲ったとしてしても、上司からの私に対する労いの言葉も一切なかったという事で結果的にはこの会社の退職を決めたきっかけにもなってしまった出来事であった。

[前進のきっかけに]

先日の報道で、育児休暇を取得する人の同僚に手当を支給する自治体あるいは企業が増えているという記事を目にした。

これは育児休暇を取得する人も後ろめたい思いをする事なく休めるという事と、それをフォローする同僚もわだかまりなく仕事に専念できるというWin-winの関係が築ける施策として非常に良い取り組みであると感じた。

私の同僚であった育児ママのように、保育園の都合で度々お休みするといった事例にこの制度をそのまま当てはめるというのはそう簡単にはいかないかもしれないが、上記の様な休む当事者の同僚を優遇する様な取り組みが浸透していけば、その様な立場の部下を持つ上司の意識も変わってくるのではないだろうか。

様々な立場の人が集まって共に働く仕事の現場ではいろいろな問題が起きる事は避けられないが、お互いに気持ちよく働くためのひとつの事例として、今回のテーマを挙げさせてもらった次第である。

 

s_hirama1著